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2005年11月22日

●佐渡島3

今朝、父の仕事のアシスタントのおじさん(父と同い年)が実家に訪ねていらして、父の遺骨の前で「親方ぁ。帰ってきたぞぉ~」と、手を合わされ、土産の「おけさ柿」を供えてくださいました。

昨日佐渡から戻って来られたそうです。
佐渡は今、みぞれや雪の降る厳しい天候の日々だそうです。

そのアシスタントのおじさんが…
日曜の午前2時半に佐渡の宿泊先で眠っていたら、急に胸が締め付けられ、苦しくなり、体が動かなくなって、目を開けると 「親方(父)が目の前に立っていた」というのです。
私が「何か言ってた?」と聞くと…
「寒いだろ。とっとと仕事やって、キリのいい所で(千葉に)帰った方がいいぞ」と言ったそうです。
父らしい言葉です。
「こんな事は生まれて初めてだ。時間も時計を見てハッキリ覚えてる」とそのアシスタントのおじさんは、おっしゃってました。

翌朝、その事を父の友人であり、父の残務を担ってらっしゃる方に話をしたら、「何かのアドバイスかもしれないね」と言われ、仕事もひと段落という事もあって、一旦千葉に帰ることを勧められたそうです。

父の仕事は、地質調査業務。いわゆる「ボ-リング調査」と言われてる外の(現場)仕事で、31歳の時に独立をし、現在まで独りでやってきました。
仕事!仕事!ばかりの人で、私は、どこかに遊びに連れて行ってもらったという記憶は、殆どありませんが、子供の頃から現場には連れて行ってくれて、手伝ったりもしていまして、その姿は、幼かった私の目にも眩しく映ってました。

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フェリ-の船酔いと格闘しながら、父を迎えに私たち家族は、両津港に夜10時に到着。
父の仕事関係の現地に駐在されてる方々が迎えてくださいました。腕にあった黒い腕章を見て、私の背筋は、ピッと伸び、ここまで「これはきっと何かの間違いだ」と思っていたモノが消えていきました。

車に乗せていただき、父に会わせてくださいました。
両津港から20分ほどの斎場に父はおりました。
そして、私は大きく崩れました。

その後、またさらに車で20分ほどの佐渡西警察で書類の作成や色々説明を受け、旅館へ…
この父が宿泊していた旅館に私達も泊まることにしました。時間は日付を越えてました。
労働者が泊まるといった風貌の旅館でしたが、目の前には日本海が広がり、いわゆるオ-シャンビュ-で、おカミさんもとても温かい方でした。

父と同室だった、アシスタントのおじさんと、旅館のおカミさんから父の様子や行動、何か言ってた事など色々とお話しを細かく聞きかせて頂きました。
そして眠れないまま私は朝を迎えました。

翌朝、父の最期の職場(現場)に仕事関係の方に無理を言って連れて行ってもらいました。
険しい、高い丘の上にある現場でした。ここまで、機材を運び上げるだけでも、どのくらい大変な事か…
少し日本海が見えて。。。
まだ機械を据え付けた段階で、作業には入ってない様子でした。。。
仕事一筋だった父が仕事を終えられずにいってしまった事がどのくらい無念だったか…

写真は、最後の職場となった場所。自慢のボ-リングマシンと父の愛車でありパ-トナ-だったトラック。

トラックと機械は、今もなお父の仕事をまっとうすべく、現地で働いております。
きっと、トラックが戻らないかぎり、父も家には戻ってこないような…そんな気がしてます。


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