2005年11月27日

●スポクラ12th

ぼやいて、よい?

今日も仕事ぉぉぉ~~~~~~~~~~~~~~っ!
(あ~すっきり♪)

こう休みがとれないと曜日の感覚がなくなりますね。
と、ひきこもった生活を暫く送っているので、色々な方々から「元気か~?」などのメ-ルを頂きます。
気にかけていただいて、ほんとうにありがたい事です。

スポ-ツクラブの方々からも写メ-ルなどをいただき、一服中に拝見し、少し逃避ができるというか、ホッとできる時間が生まれています。

スポ-ツクラブの皆様にも今回のことで色々とお世話になったので、面と向かってちゃんとご挨拶もしたいところなのですが。。。
自分が思ってるより傷は深いようで、TVのサスペンスドラマなどで、人が殺されるシ-ンや亡くなるシ-ンなどを見ると、いまだに反射的に顔をそむけてしまっています。
先日の千葉ロッテ優勝パレ-ドに行った際も、スポ-ツクラブの方々をお見かけしましたが、気分的に、声はかけずにおきました。
そんな状態なので、時間があればスポ-ツクラブに行くのか?と問われれば、正直疑問ではありますが。。。
今は仕事で「忙しい~」と言っててちょうどいいのですかね。。。

私の通うスポ-ツクラブは、今年(今月)で開業12周年という事です。
私は開業時からいるので、¥いくら還元してる?という、心の狭いことは言わずに、100周年くらいまでお互いおつきあいがんばりましょう。(私はムリですが)
月初めに色々あり、忙しくなる予感もあったので、休会や退会も思案していましたが、そうすると私はマスマス時間を作る事をしなくなりそうなので、とりあえずは籍を置いておく事としました。

ちょうど丸一ヶ月、私はクラブの敷居をまたいでおりませんので内容はわかりませんが、今月の前半に12周年記念のイベントが2週に渡って行われたようです。


写真は、その12周年記念のT-シャツ。サイズはXL。
先日G8810さんがとり置きしておいてくださいまして、頂きました。
昨夜、衣類を整理してたら、出てきて。。。で、なんとなく、撮影してみました。
まだ袖を通しておりませんが、生地は着やすく、動きやすそうでいい感じです。

ただ、このような最近の生活を送っている私の体型は変わりつつ(育ちつつ?)あるので、はたしてXLでも入るのかどうだか。。。

いずれにしても、このT-シャツに袖を通すのは、もうちょい先の話になるような…そんな気がしています。


2005年11月26日

●サイレントギタ-

今日も労働者。最近思えば仕事全然休んでないような気が。。。。

という私に職場の同僚でカリスマ元ギタリスト、最近出荷もされ始めた現カリスマ農夫(?)のongさんから「かわいそう」と、先日サトイモを頂きました♪
今朝、煮物にしておいしく頂きました。


最近、ongさんとの話題のブ-ムはヤマハのサイレントギタ-というギタ-。

写真のようなギタ-で、サウンドホ-ルがありません。
名前の通り、音量は通常のギタ-の1/10。
音のエネルギ-にいたっては1/100という静粛性を誇るギタ-という事です。


音が出ないのがいいの?と思われるかもしれませんが、仕事から帰宅すると「もう深夜じゃん…」という私には、このギタ-は時間帯や場所を気にせずに思いっきり弾ける、ありがたいギタ-のような気がしてます。特に6弦(一番太い弦)は、軽く弾いてもボンボン響きますしね。

今までは、夜中や家族がいる時は、エレキギタ-を電力を供給せずに(音を出さずに)弾いてましたが、エレキはアコギに比べると、あまりにも弾きやすいので、練習にはならないのです。

ちなみに、一般的に、エレキ→クラシック(ナイロン弦)→フォ-ク(スチ-ル弦)という弾きやすさの順
と言われています。

サイレントギタ-は、スチ-ル弦とナイロン弦、ワイドネックのナイロン弦の3種類があり、アンプにもつなげ、2タイプのリバ-ブを内蔵してるようです。ヘッドホンを通して聴く音は結構評判がいいようですし、ライブや録音での使用も抵抗がないようです。
コレ1台で、練習と演奏ができるというのが私にはとても魅力的なのです。

ongさんは、ナイロン弦のモデルを狙ってらっしゃるようです。
私は…スチ-ル弦の音も捨てがたいのですが、ナイロンの方が指に負担がかからず、長時間弾けそうな…う~ん…
この辺はジ~ックリと弾き比べてみたいところですね。
そんなに¥安いものでもないですしね。
定価は¥67000。店頭では¥50000前後で出ているようです。

購入する予定はありませんが。。。。

2005年11月25日

●イメ-ジソング

写真は、最近母親が購入してきた…
『小林旭・全曲集』
という中古のCD。


父が「歌えないけど好きな歌だ」と言ってた『北へ』という曲が収録されており、実家ではこの『北へ』がBGMとしてRPTで、ずっと流れ続けております。。。。。。。

いい曲ですネ。
最近、なんとなくですが、この手のジャンルの曲も「いいなぁ」なんて思えるようになってきような…(私も大人になってきたのでしょうか…笑)

今回葬儀は、父の生前の希望もあって、お坊さんを呼ばない「無宗教葬」にて行いました。
お経の代わりに、父の十八番だった千昌夫さんの『北国の春』とこの『北へ』をシンセで生演奏してもらう『音楽葬』と銘打って執り行うこととしました。
親類から色々ご意見もいただきましたが、押し通させていただきました。

今回お世話になったライフケアさん曰く…
このような感じの式をやろうとする人は、「現在まだ全体の2割ほど」だそうです。
打ち合わせも、お互い熱が入り、朝方まで。。。。

私の仲人の奥さんがピアノの先生なのですが、式にいらして、シンセの演奏技術が「すばらしい!」と言っておられました。
私も『北国の春』はこの場で、ど~なるんだろか?と不安にも半分楽しみにも思ってましたが、シットリとした広がりのあるアレンジで2パタ-ンの演奏。父の歌を知ってらっしゃる方々の涙を誘ってました。

よく、この曲を聴くと「あの人を思い出す」とか「あの場所や風景、情景を思い起こす」なんて曲ってありますよね。
例えば私なんかスティ-ビ-ワンダ-さんの『サンシャイン(You are the sunshine of my life)』を聴くと、エアロビクススタジオを思い出し、動悸が激しくなります…(これは条件反射?笑)
この『北へ』も私にとって聴くと、ふと父を思い出すようなそんな曲となるのでしょうか。
この2曲の詩をみると、『北』と『ふるさと』そして『花』いう3文字が何かのキ-ワ-ドのように心に強く印象に残ります。


忘年会とかでカラオケに行くような機会があれば、おじさん達に『北へ』をリクエストしてみようかな。。。
(私が歌うには役不足な感もあるのでね)
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2005年11月23日

●勤労感謝の日

今日も私は元気な労働者。。。。
元気に労働できる事に感謝しましょ~う! (涙)

という私が最近、労働中にハマってるオヤツは…
『Renaissance クリ-ムフランス』という菓子パン。

職場に行く途中のコンビニ(サンクス)で買ってるのですが、今日は、最後の一つでした。(アブナイアブナイ…笑)
売れてるのでしょうか。
ここのところ私は毎日買っております。

フランスパンの生地にナイススティックという菓子パンの中にあるようなクリ-ムが入っております。
見た目パサパサしてそうで、敬遠してたのですが、一度食べてみたら、案外シットリしてて、硬さもちょうどよい。
って事で、ここのところ気に入っております。

最近の記事、自分でも「重いかな?」と感じ、たまにはこういう話題もいいかと思いまして。。。ね。

昼間は、今日も上空にヘリコプタ-がブンブン飛んでいました。
国際千葉駅伝の取材ですね。
選手の方々もお勤め(?)ご苦労さんです。



2005年11月22日

●佐渡島3

今朝、父の仕事のアシスタントのおじさん(父と同い年)が実家に訪ねていらして、父の遺骨の前で「親方ぁ。帰ってきたぞぉ~」と、手を合わされ、土産の「おけさ柿」を供えてくださいました。

昨日佐渡から戻って来られたそうです。
佐渡は今、みぞれや雪の降る厳しい天候の日々だそうです。

そのアシスタントのおじさんが…
日曜の午前2時半に佐渡の宿泊先で眠っていたら、急に胸が締め付けられ、苦しくなり、体が動かなくなって、目を開けると 「親方(父)が目の前に立っていた」というのです。
私が「何か言ってた?」と聞くと…
「寒いだろ。とっとと仕事やって、キリのいい所で(千葉に)帰った方がいいぞ」と言ったそうです。
父らしい言葉です。
「こんな事は生まれて初めてだ。時間も時計を見てハッキリ覚えてる」とそのアシスタントのおじさんは、おっしゃってました。

翌朝、その事を父の友人であり、父の残務を担ってらっしゃる方に話をしたら、「何かのアドバイスかもしれないね」と言われ、仕事もひと段落という事もあって、一旦千葉に帰ることを勧められたそうです。

父の仕事は、地質調査業務。いわゆる「ボ-リング調査」と言われてる外の(現場)仕事で、31歳の時に独立をし、現在まで独りでやってきました。
仕事!仕事!ばかりの人で、私は、どこかに遊びに連れて行ってもらったという記憶は、殆どありませんが、子供の頃から現場には連れて行ってくれて、手伝ったりもしていまして、その姿は、幼かった私の目にも眩しく映ってました。

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フェリ-の船酔いと格闘しながら、父を迎えに私たち家族は、両津港に夜10時に到着。
父の仕事関係の現地に駐在されてる方々が迎えてくださいました。腕にあった黒い腕章を見て、私の背筋は、ピッと伸び、ここまで「これはきっと何かの間違いだ」と思っていたモノが消えていきました。

車に乗せていただき、父に会わせてくださいました。
両津港から20分ほどの斎場に父はおりました。
そして、私は大きく崩れました。

その後、またさらに車で20分ほどの佐渡西警察で書類の作成や色々説明を受け、旅館へ…
この父が宿泊していた旅館に私達も泊まることにしました。時間は日付を越えてました。
労働者が泊まるといった風貌の旅館でしたが、目の前には日本海が広がり、いわゆるオ-シャンビュ-で、おカミさんもとても温かい方でした。

父と同室だった、アシスタントのおじさんと、旅館のおカミさんから父の様子や行動、何か言ってた事など色々とお話しを細かく聞きかせて頂きました。
そして眠れないまま私は朝を迎えました。

翌朝、父の最期の職場(現場)に仕事関係の方に無理を言って連れて行ってもらいました。
険しい、高い丘の上にある現場でした。ここまで、機材を運び上げるだけでも、どのくらい大変な事か…
少し日本海が見えて。。。
まだ機械を据え付けた段階で、作業には入ってない様子でした。。。
仕事一筋だった父が仕事を終えられずにいってしまった事がどのくらい無念だったか…

写真は、最後の職場となった場所。自慢のボ-リングマシンと父の愛車でありパ-トナ-だったトラック。

トラックと機械は、今もなお父の仕事をまっとうすべく、現地で働いております。
きっと、トラックが戻らないかぎり、父も家には戻ってこないような…そんな気がしてます。


2005年11月20日

●千葉ロッテ優勝パレ-ド

この週末は、土日両日とも出勤となってしまい…
月始めに一週間ほどモロモロで休んでしまったので、このしわ寄せは仕方がないですね。
という事で、母と(父と)一緒には優勝パレ-ドを見に行けなかったのですが、「幕張界隈は昼頃にパレ-ドが行われる」という事で、ちょっくら昼休みに仕事を抜け出し見にいってまいりました。
もしかすると、こんな事は暫く(31年くらい?)ないかもしれませんしね。
やはり出勤していた他の社員さんも見に行ったようです。

メッセ、マリンスタジアム周辺は、朝からヘリコプタ-がブンブン飛んでいて、道路はモ-タ-ショウ時以上の混雑大渋滞ぶり…臨時駐車場も開放していましたが、あふれていて、入りきれない車でゴッタ返している状態。私は、職場から徒歩で行ったのですが、海浜幕張周辺は、とにかく人、人、人…人っ!歩道はマトモには歩けない状態で、すごい盛況ぶりでした。
「千葉、幕張合わせて24万人の人出」とか。。。
一人¥3000使ったとして…どのくらいの¥がこの日動いたんだろか。。。

パレ-ドは、広報車やパトカ-を含め17台ほどの車列。
千葉市消防音楽歩行隊に続いて、真っ赤なオ-プンカ-に乗って沿道に向けてにずっと投げKISSを送ってらしたバレンタイン監督の表情がとても嬉しそうで、思わずこちらも顔がゆるみ、笑顔になってました。
今期で引退される初芝選手は、続く白のオ-プンカ-に乗り、穏やかな笑顔で、こちらに手を振ってくださいました。最後の最後で優勝の美酒を味わえて、よかったですね。「お疲れさん!」と、声をかけておきました。同年代なのでね。(私は2つほど上ですが)

若い選手達が大勢乗る、2階建てのオ-プンバス(スカイバス)は、選手皆大騒ぎでした。
嬉しさを表現するパワ-が伝わってきました。
(ジョニ-さんと、小宮山選手は、お疲れモ~ドなのか座ってましたが…笑)

その後、マリンスタジアムで催しが行われたようですが、私は即労働に戻りました。
その後しばらくの間マリンスタジアムは賑やかでした。
見に行く予定にしてなかったもんで、ちょっと薄着で。。。風邪の気配。。。


2005年11月19日

●佐渡島2

新潟駅からフェリ-乗り場までは、タクシ-で15分ほどだったでしょうか。
タクシ-の運転手さんには「佐渡汽船まで」と言えば連れて行ってくれるようです。

潮の臭いがしてきて、新潟港に着きました。
今回乗ったフェリ-は、『おけさ丸』(12419t 旅客定員1520名 全長134.70m)と、よく乗る東京湾フェリ-の『かなや丸』(3580t 旅客定員580名 全長79.0m)と比べても数段に大きい船で、船に弱い私も船酔いには安心というか、特に気にせずにいました。

ちなみに、80km/hで突っ走るジェットホイル(全席指定禁煙)では、新潟~両津間は約1時間。
30km/hほどのおけさ丸では2時間20分ほどかかります。



2等船室の切符を購入(¥2060)し、連絡通路を渡り、おけさ丸へ。
船内に入ると、映画タイタニックに出てきたような豪華なエントランスホ-ルか広がってました。
2等船室へ向かう途中、ゲ-ムセンタ-やレストラン、KIOSKのような売店などもあり、高速道路のPAやSAにあるものがそっくり中に入ってるような感じでした。
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等船室は、何部屋にか分かれていましたが、いずれも大広間のようになっており、いわゆる雑魚寝のような状態の部屋。TVが設置してありましたが、「NHKのみの放映」だそうです。
船内放送でも言ってましたが、この日の2等船室は、混雑してて、足の踏み場がないというか、横になる場所が僅かしかありませんでした。
私と母は、とにかく場所を確保し、毛布を借り(¥100)横になりました。その他のメンバ-は、イベントホ-ルやデッキへと行きました。
背中に感じるエンジンの振動が大きくなり、出港。
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間もなくし、私は飽きて起き上がり、催し物を行うようなステ-ジのある「イベントホ-ル」にて一服。
そしてこのあたりから、悲劇が始まりました。

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船酔いです。ゆ、ゆれる~。出港後15分で苦しみ始めました。恐るべし日本海。
甥もやられ、トイレに入りっぱなしの状態。
妹に甥の様子を「見てきてくれ」と頼まれ、男子トイレに行くと、苦しんでる甥の姿が…
その姿を見た私は、つられて、更にヒ-トアップ。。。。しかし、甥の前では威厳を保たなければなりません。。。
とりあえず甥に酔い止め薬とお茶と「がんばれ」と激励の言葉を残し、ヨロヨロ船室に戻りました。
到着予定時刻まで、あと1時間45分ほど…「も、あるのかぁ~~~!」
「今日は穏やかなので快適ですよ」と言って見送ってくださった父の仕事関係の方と父親を恨みつつ、どの態勢でいるのが、一番楽なのか、私は模索しておりました。
どうやら、船室で仰向けになり、少し頭を高くして寝ているのが一番楽でいられるようです。

という事で、甥に寝場所を譲り、私はデッキに出て、風にあたる事としましたが、何をしてもやはり直立の状態でいるのが、一番シンドイ!「き、き、きもちわるぅぅ~~!」みたいな。。。

2等船室にヨロヨロ戻り、あらたなる寝場所を求めました。ここからは、野性の王国状態です。二人の世界にいる若いカップルの横にあった僅かな隙間を見つけ、「わりぃ~ね」と心の中で謝罪しつつ、そこへ倒れこむように強引に横になり寝場所を確保しました。

そんなこんなしつつ、父が待つ佐渡島へ。
オヤジは船酔い大丈夫だったんだろか。。。