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2005年11月17日

●佐渡島

先日、父を迎えに行った際に、「何も感じないまま佐渡から帰ってきた」と書きました。
けれど、折角のこの父との最後の旅行をもう一度振り返って、何かを思い出し、何かを感じてみようかと思い、記憶の温かいウチに時間のある時に少しずつですが書いてみる事にしました。悲しみに沈んでいた私達に温かく手をさしのべて下さった方々もいらっしゃいましたし、感謝の気持ちや何かを再認識できるかもしれませんし、しなければいけません。
あくまで、旅行として、いつもの調子でね。

ふり返ると、この旅行は、先日お話しした日韓共同キップを小規模にしたような感じの旅行だったのかな。。。とも思います。

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実家から連絡の電話を受けたのは、朝の8時05分。日曜とあって、私はまだ眠っていました。

とにかく実家へ!

着の身着のまま、私を含む家族6人は、外房線に飛び乗りました。

そして、14:40東京発 とき359号へと乗り継ぎ、新潟へ。

この とき359号は、200系(写真)でした。
東海道山陽新幹線で活躍していた0系に似てますが、耐寒耐雪対策が施され、1999年に内外装を大幅にリフレッシュし、営業を開始した車両です。
最高速度は240km/h。とは言っても、途中大宮までは、本気は出さず。それ以降は、中越地震の影響区間は徐行するのかな?と思っていましたが、その様子はなく、快適に飛ばしてました。
初めて乗りましたが、あまり揺れず、旧さも感じず、乗り心地はとてもよかったです。
今回、自由席でしたが、空席も目立つくらい空いておりました。
私、新幹線や特急に乗る際は、連れがいる場合は、禁煙車両に乗るようにしてます。
一服したくなると、喫煙車両へコソコソと移動します。喫煙車両は常にケムイのでね。

新潟には、16:52に到着。改札口で、父の仕事関係の方に迎えてもらいました。
私、新潟駅に来たのはこれまた初めてなのですが、栄えてます。駅もキレイでした。
津田沼や船橋を大きくしたかのような雰囲気がありました(ロ-カルな例えですが)
駅ビルのお蕎麦屋さんで、色々と経過や状況などの話を聞きながら、「へぎ蕎麦」という蕎麦をご馳走になりました。

食欲もあまりない私達には、蕎麦はちょうどいい食べ物でした。
グルメではない私は、へぎ蕎麦の味はあまり印象に残ってませんが、麺がエラく硬いというかコシが強いという印象が残ってます。
「変わった食感の蕎麦ですね」と、その迎えに来てくださった方に言うと…
「こんな状況ですが、折角新潟にいらして下さったので、名物をと思い、ご案内させていただきました」とおっしゃり、説明をしてくださいました。

へぎ蕎麦の「へぎ」というのは、蕎麦を盛る杉や欅の木材で作られた長方形の器の事をいうそうです。
もう一つの特徴としては、蕎麦のツナギに海藻の布海苔(ふのり)を使っており、コシの強さはこの布海苔の影響という事でした。



この日、佐渡へのジェットホイルは、16:00が最終。という事で、19:40発(最終)のカ-フェリ-にて渡ることとしました。それまで、逸る気持ちを抑え、2時間ほどロッテリアやコ-ヒ-ショップに別れて入り、飲み物のみで、親類や佐渡の警察、関係者の方々と連絡をとりつつ、時間を潰しました。
ちなみに、新潟のロッテリアでも、千葉ロッテ優勝のエビバ-ガ-半額というのはやっておりました。

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