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2006年07月05日

●大型二種

本日もダイエットに勤しむべく、雨の中、電車とバスにて出勤。
駅で懐かしい人にバッタリ会ったり…という機会も生まれてますが、ダイエット効果の方は…あまり出ておりません。。。
それにしても、雨も気になりますが、テポドンも気になる空模様ですね。


「バス」というと…
私の職場界隈には、2つ繋がった全長18mの『連節バス』が走ってます。
一般路線バスとしては、この京成バスさんの連節バスのここでの運行が国内で初という事です。
私も珍しいので、デビュー当時はめがけて乗ってましたが、ちょっと椅子が硬く…
今私は、このバスが来ると逆に敬遠してしまいます。
椅子が硬いのは、バスも電車も今の主流なんですかね。
(再発しちゃうじゃんか…)

で、この連節バスは、ボルボ製(ボディーは富士重工)らしいです。
オートマで、ターボチャージャーだかスーパーチャージャーだかは解かりませんが、加給機タービンの回る音がヒュンヒュンしてます。
後部車両のタイヤが4WSのように動いてるようで、交差点などで曲がっても前の車両に似た軌跡をトレースしてます。
運転には大型二種+けん引二種の免許が必要なのかと思いましたが、「常時切り離す構造ではなく1つの車体とみなす」という特例解釈があり、経路厳守という条件の下、大型二種免許のみで運転できるようです。


私もバスの運転手を目指してた時期がありまして…
横浜で乗った二階建遊覧バス(ブルーライン)に感動してね。「コイツを運転したい!」みたいな。。。
昭和64年(平成元年)に大型二種を取りました。
余談ですが、昭和天皇の崩御直前の時期に取ったので、免許証には、平成1年ではなく、「昭和64年」と記載されてます。

試験はというと…
大型車や、ましてやバスなんて運転した事もなく試験に臨んだもんで、学科試験は1発合格でしたが、実技試験は11回目でようやっとパスしました。
この試験、今では(平成14年6月法改正)教習所卒業での実技免除があるようですが、当時は試験場にて、いわゆる“一発試験”で取得する方法しかありませんでした。
(教習も今¥30万くらいかかるようですが…)
ちなみに、警察庁の『運転免許統計』によると、平成13年での合格率が13.5%、15年での合格率が21%という感じの試験です。

私の奮闘ブリはというと…
最初の試験時は、エンジンのかけ方も解からず、試行錯誤の上、やっとかけたものの、シートベルトも締めずに走り出し、外周半周回った所で試験官「に「帰れ!」と言われました。(笑)
2度目の時なんか、発進時にギアを2速に入れたつもりでいたらバックに入ってたようで…はい、結果はご想像の通りです。(再笑)
めげずに何回か受けてるウチに受験者とも顔なじみが出来、情報も色々入ってきて、運転自体にも慣れてきたというか、コツやポイントが解かり…
何回目だったか、やはり不合格だった時でしたが、試験官から不合格の告知と共に「若いのに頑張るな」とお声をかけていただき、もちろんコツやポイントは教えてくださいませんでしたが、この一言で更にヤル気になりました。(特に試験官が私情的な言葉を発するという事はなかったので)
たしかに、受験者は、30~40代の上の世代の方々が多かったですね。当時二十歳ソコソコの私と同年代の受験者の姿は見かけませんでした。
中には、やはり上の世代ですが、女性の方もいらしてて…「ワタシは今日で14回目よぉ~あはは~♪」なんて。。。マドンナというか、アイドル的存在の方もいらっしゃいました。(笑)

バスって、トラックとはまた違う構造をしてて、前輪が自分(運転席)よりはるか後ろにあるんですよね。
なので、S字なんて自分(運転席)が縁石をはみ出し、芝の上に位置したり…

そんなこんなで、結構苦労したもんで、この時の事は18年以上経った今でもよく覚えています。
合格時は、やはり合格された方と一緒に、試験場内にある献血ルームで、「記念に!」と、ニコニコしながら献血したり…
採血していただいた方から、「脈が早いですね」と言われました。
それだけ私は興奮していたんですかね。…(献血という事をしたのは今まで生きてきた中でこの1回のみですが)

それからバスの運転手を目指し、まずはトラックの運転手という職に就きましたが、前述にあるように腰を痛めて…断念いたしました。
ただ、この免許を取得してからは、無茶な運転をしなくなったような。
そんな気がしてます。

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