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2006年07月21日

●青春のテニス物語2

一つ上の先輩方と『硬式テニス同好会』を発足させて、半年後の事…
何を思ったのか、その先輩達全員が退会し、全員が生徒会へ立候補。。。
「お前、部長な!後は任せた!」と。
後に理由を聞いたら「女子とのコミュニケーションがとりたかった」らしいのです。
生徒会の活動は、男女一緒でしたからね。
それにしても、残された私は何をすればいいんだ?みたいな。。。


とりあえず、「同好会を部活に昇格させよう!」を残った同級生と共に目標に定めました。


まずは、先生方に顧問となってくれるよう、職員室で片っ端に頭をさげて…
一度、校長室までも行きましたが、さずがに怒られました。。。
なんとか、「いいよ」とおっしゃっていただいた先生がお一人いてくださいました。


次に、実績ですね。
「とにかく、試合に出よう!で、勝とう!」を目標に。
当然、部活扱いではないので、高校総体などへの参加資格はなく。
高校やテニスクラブなどのジュニアが参加する、ハードコートテニス選手権『ピーナッツ・カップ』という千葉県の柏地区で行われるオープンのトーナメント大会がある事を雑誌で知り、この大会に目標を定めました。
テニスコートを持たない我々の初めての試合…結果は見えてますよね。10名以上シングルスでエントリーしましたが、全員予選一回戦敗退。しかも私を含め殆どがラブゲームで。
負けた事以上に「試合になってない」という印象があり、恥ずかしさが強く、落ち込みました。


「校内にテニスコート」は望めそうにもないので、私は、何名かとテニススクールに通う事としました。
今でもあります『ルネサンス幕張』さん。
けれど、所詮高校生。¥の余裕はありません。私は、1期のみ、基本をとにかく習得する事だけとしました。
他の仲間は、暫く続けていたようですが。


ある日、テニスコートに飢えてた(?)私の姿をみて、顧問の先生が合宿を企画してくださいました。
場所は、なんと軽井沢!
これも後で理由を聞いたんですが、単に自分が行きたかったらしいのです。学校のOBの方がやられてる民宿で、少し旅費の負担もしてくださいましたが。
この時、初めて軽井沢という所に行きましたが、景色や名産物など目に止めず、コートで一日中打ち合ってた記憶があります。
途中に見た妙義山や朝のジョギング時に見た塩沢湖は、キレイに映った印象がありますが。

この顧問の先生…
校内での練習には一切顔を出してくださいませんでしたが、色々なテニスコートを調べてあたってくださってたみたいで、「ここに行ってみなさい」などと時折紹介してくださいました。やはり、OBの方が経営されてる千葉の白子の民宿での合宿も幾度か企画してくださったりと。
後の話ですが、卒業後もおつきあいがあり、ご一緒に代々木へボルグ選手の試合などに連れて行っていただいたりもしてくださいました。(その頃のお話は、またの機会にでも)
それに応えるべく、出られる試合には貪欲に出ました。すべて1回戦敗退でしたけどね。


こんな同好会でも、春には何名か後輩達が入ってきました。なんと女子も。
コートも無いのに結構な大所帯となりました。
練習場所はおろか、自分に余裕も実績もない中で、彼らにいう事をきかせたりと、まとめるのは、大変な事でした。
時には、部員同士の恋愛相談も受けたりもしましたが…「そんなくだらん事、知らん~!」みたいに当るように怒って投げ捨てる事もあったりもしました。それほど気持的に余裕がなく。。。


そして、3年の夏に、同級生と「これを最後の試合としよう」と決めていた試合に臨みました。
やはりジュニアのオープンのトーナメントの試合でしたが、私の1回戦の相手は同じ市内の高校の選手。しかも1つ下でした。
接戦となりましたが、私は落としました。
泣きましたよ。。。後輩達に囲まれる中、恥も何も後回しにしてね。
馬鹿にされるかと思いましたが、中には一緒に泣いてくれた後輩もいてね。


そんな彼らに“部活”という形としてこの後を託せないという想いが、私を次の試合に臨む決心をさせました。
同級生では、私一人のみの参戦でした。目標の試合は、デビュー戦でもあった『ピーナッツ・カップ』。これが参加資格上でも本当に最後の大会です。
部長の座は後輩に譲り、彼らの練習活動からは一人離れて、同級生に力を借りて。また、再度テニススクールにも通いました。¥はバイトで捻出してね。


↑ん?長文?では、この続きは、また後日にでも。。。

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